何かを「当たり前」にしたいなら環境に身を置く|脳は周りの「ふつう」に自分を合わせていく

関西へ、2泊3日で出かけたときの話です。

目的のひとつは、勉強会に出ること。

仕事がどんどん煩雑になっていくなかで、AIに任せられるところは任せる、ということをやっていて、その効率化のために、もう一段学びを深めたかったのです。

もうひとつは、京都でお茶の学校をやっていて、2週間以上出張していた夫を訪ねること。

留守のあいだは、父がわざわざ福岡から長崎まで来てくれて、孫たちと3日間を過ごしてくれることになりました。

料理はたっぷり作って、これこれはいついつ食べて!と、冷蔵庫に入れて。

あとは、みんなで協力して頑張ってくれていたようです。

その勉強会の会場で、あらためて感じたことがあります。

20代と30代の中に、、、、

会場は、20代、30代の方がメインでした。

皆さんそれぞれ、いろんなお仕事をされている方たち。

その中に、私と、私のお隣の方。

実は私は52歳で、お隣の方は72歳。

私達の列が会場の平均年齢を上げていたのは間違いないのですが、

でもこのお隣の方が、もう、めっちゃ元気な方で、

本当に幅広くいろいろされていて、いい年の取り方をされている方だな〜と、話もすっかり盛り上がりました。

長崎から関西まで出てきていたのは、私くらいでしたけれども。

「ふつうの会話」の中に、知らない常識がある

その場にいて、いちばん強く思ったのは、これです。

何かを上手になりたいとき。

自分の中で、それを「当たり前」にしていきたいとき。

一番の近道は、その環境に身を置くこと。

その場で交わされているのは、特別な講義ではなく、ふつうの会話です。

でも、その「ふつうレベル」の中に、私が聞いたこともないことが、当たり前のように混ざっている。

その場にいなければ、その常識に触れることすらありません。

だから、自分の中でまだ達成できていないことがあるとき、それを一人きりで何とかするのは、やっぱりすごく難しい。

本を読んでも、動画を見ても、そこに書かれているのは「誰かが選んで、まとめたもの」です。

その人たちにとってあまりにも当たり前で、わざわざ言葉にされないことは、その場にいないと入ってこない。

環境の力って、本当に偉大だと思っています。

脳は、周りとずれると「エラー」を出す

これを、脳の側から見た研究があります。

2009年に『Neuron』に出た、オランダのドンダース研究所のグループの研究です(Klucharev et al., 2009)。

参加者に、たくさんの顔写真を見せて、魅力を点数で答えてもらいます。

答えたあとに、「ほかの人たち(集団)は、この顔をこう評価しました」という点数を見せる。

そして、そのときの脳の働きを、MRIで調べました。

すると、自分の評価が集団の評価とずれたとき、脳の中の2か所——前帯状皮質の前のほう(rostral cingulate zone)と、腹側線条体(ventral striatum)——に、ある反応が出ました。

それは、学習の研究で「予測誤差」と呼ばれている信号に、よく似た反応でした。

予想と現実がずれたときに出る、「あれ?ずれているよ」という合図です。

そしてこの反応が大きかった人ほど、あとで同じ顔をもう一度評価したとき、集団の評価に近づく方向へ、自分の判断を修正していました。

研究者たちは、集団の「ふつう」は、学習の仕組みを通して、私たちの判断を合わせさせている、とまとめています。

それどういうことかというと、

周りの「ふつう」と自分がずれていると、脳はそれを、ちょっとしたエラーとして受け取る。

そして、そのエラーを小さくする方向へ、自分を少しずつ調整していく。

これは、誰かに合わせようと意識してやっていることではありません。

脳が、勝手にやっていることなのです。

脳は「当たり前」に、一番労力なく合わせていく

以前、娘の計算の話を書きました。

8たす5が、くり返すうちに13にしか見えなくなる。

脳はくり返したことをパターンにして、エネルギーの無駄遣いを減らしている、という話です。

この話も、その続きだと思っています。

脳は、ひとつひとつを特別なこととして、毎回がんばって処理するよりも、

自分の水準の「当たり前」のところに、一番労力の少ない形で合わせていこうとします。

そして、その「当たり前」の水準を決めている大きなものが、周りの「ふつう」です。

毎日ふれている会話。

毎日見ている人の動き方。

毎日聞いている、何気ない言葉。

それが、くり返しになって、パターンになって、いつの間にか自分の「ふつう」になっていく。

だとしたら、

ひとりで「当たり前を変えよう」とがんばるのは、毎回ゼロから8たす5を手順で解こうとするようなものかもしれません。

その「ふつう」の中にいれば、脳は、勝手にそちらへ合わせていってくれる。

「当たり前を変える」って、よく言われますけれども、

それって、本当にこういうことなんだよな〜と、あらためて実感する旅でした。

だから、ひとつだけ気をつけたいこと

この仕組みは、両方向に働きます。

いい環境に入れば、その「ふつう」に引き上げられる。

でも、たとえば、

「糖はこわいもの」が当たり前の場所。

「疲れているのが当たり前」の場所。

「がまんするのが当たり前」の場所。

そこにずっといると、脳はやっぱり、そちらに合わせていきます。

それは、あなたの意志が弱いからではありません。

脳が、一番労力の少ない道を選んでいるだけなのですね。

そしてもうひとつ。

新しい環境に入って、ずれを感じて、自分を調整し直す——これには、それなりのエネルギーが要ります。

以前書いたとおり、パターンを作り直すのにも、エネルギーが要るのです。

だから私は、いい環境に身を置くことと、脳にちゃんと燃料を届けることは、セットだと思っています。

助けが得られるときは、動く

もちろん、いつでも家を空けられるわけではありません。

あのときも、父が福岡から来てくれたから、行けました。

助けが得られそうなときは、こうして動く。

そして、自分がレベルアップした分は、家族に還元したり、関わってくださっている方たちに還元したりする。

そんな形で、循環させていけたらいいなと思っています。

あなたが今、「当たり前」にしたいことは、何でしょう。

そしてそれは、どんな人たちの中に入れば、ふつうに転がっていそうでしょうか。

参考文献
Klucharev V, Hytönen K, Rijpkema M, Smidts A, Fernández G. Reinforcement learning signal predicts social conformity. Neuron. 2009;61(1):140-151.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19146819/


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「糖をやめたら若返った」は本当?エビアンの湧き水が教えてくれた、体が変わるための「時間」

これは、旅もいよいよ最終章、ゆっくり観光できる最後の日の話です。
結構私は痛めていた足が痛くって、びっこを引きながらの観光でした。

ローザンヌからエビアンにフェリーで渡って、エビアンの町を楽しみました。
エビアンはあのエビアンの水で有名な「エビアン」。

19世紀から「療養水」として使われてきたその水は、
カルシウムとマグネシウムが多い硬水です。

アルプスの雪や雨が地中に染み込み、氷河由来の地層を通り、
約15年かけてろ過され、ミネラルを含んで湧き出るそう。

その場所が港から近くだと知って、行ってみることに。
飲んでみると、確かに、なんだか届く感じの水でした。

水って不思議なものですよね。

無色透明で、形もない。
でも、その一滴がどこから来て、どんな道のりを辿ってきたのかを知ると、
私たちの体の中で起きている「奇跡」のようなメカニズムとも、
どこか重なる部分があるように思えてなりません。

ここでは、エビアンの湧き水から教わった、
「本当の癒し」と「体が変わるための時間」について。

15年かけて湧き出る「癒しの水」

エビアンの水が湧き出るまでには、
アルプスに降った雨や雪が、なんと15年もの歳月をかけて、
氷河の地層をじっくりと、じっくりと通り抜けてくるのだそうです。

15年ですよ、15年。

ただの「雨水」が、何層ものフィルターを通り、
アルプスの大地のミネラルをたっぷり抱え込んで、
ようやく「癒しの水」として地上に現れる。

このストーリーを聞いたとき、私は自分の「痛めた足」と、
今あなたと一緒に取り組んでいる「代謝改善」を
思い出さずにはいられませんでした。

私たちは、何か不調があったり、体が重かったりすると、
つい「すぐに」結果を求めたくなります。

あのサプリを飲めば。
この食事に変えれば。
明日には、魔法のように全部良くなるんじゃないか。

でも、本当の意味での「細胞の入れ替わり」や「体内環境の再構築」には、
やっぱり、それ相応の時間が必要なのです。

私たちがこれまで、意図せずとも長年取り込んできた、
古い油(PUFA)や、ストレスによる炎症のゴミ。

それらを一つ一つ手放して、
本来のエネルギー(糖代謝)がスムーズに回るようになる道筋は、
まさに、雨水がアルプスを通り抜けていく道のりのようです。

カルシウムとマグネシウムの絶妙なバランス

エビアンの硬水が「療養」として愛される理由の一つに、
「カルシウムとマグネシウム」の絶妙なバランスがあります。

Ray Peat博士の理論でも、
カルシウムはただ摂ればいいというものではなく、
細胞のエネルギー(ATP)を守る「マグネシウム」という存在があって初めて、
私たちの体(細胞内の水構造)を正しく保つことができると言われています。

「なんだか細胞まで届く気がする」

そう感じたのは、きっとその水が、
私たちの細胞が「心地よい」と感じる、
自然で力強い「構造(ストラクチャー)」を持っていたからかもしれません。

「糖を辞めたら若返った」の落とし穴

ところで、ある時インスタのリールに、こんなコメントをいただきました。

「糖を辞めたら、肌も綺麗になって若返った!
だからやっぱり、糖は人類にとって悪いものなんじゃないですか?」

といった内容です。

確かに、甘いもの(特に酸化した油や添加物がたっぷり入った、質の悪い市販のスイーツなど)をバッサリ辞めると、
一時的に体が軽くなったり、肌にハリが出たように感じたりして、
「若返った!」と嬉しくなる時期があるのは事実です。

でも、ここには大きな「代謝の落とし穴」が隠されています。

まず、甘いものと一緒に摂っていた「悪い油」や添加物を辞めることで、
一時的に「体の中のゴミ」による炎症が引くため、
不調が消えたように見えることがあります。

いわば、工事現場から一旦ゴミを撤去したような状態です。

そしてもう一つ、多くの方が悩まれている「カンジダ菌」の問題。
これも、「糖を抜けばカンジダが死んで解消する」と思われがちですが、
実はここに大きな落とし穴があります。

カンジダ菌は、餌である「糖」が供給されなくなると、
大人しく死んでくれるわけではありません。

むしろ、生き残るために「菌糸形」という、
深く根を張るような、より攻撃的な形態へと変身するのです。

糖がないなら、あなたの腸の粘膜を突き破って、
血液中から直接エネルギーを奪い取ろうとする。

これが腸を傷つけ、さらなる炎症や未消化物の流入を招き、
体力をじわじわと削っていく原因になります。

つまり、糖を抜くことは、カンジダを「殺す」のではなく、
「飢えさせてより凶暴にさせている」だけかもしれないのです。

ですが、そこからがさらに本質的な問題。
エネルギー源である「糖」を絶たれた時、私たちの体は
「緊急事態!」と判断して、アドレナリンやコルチゾールといった
ストレスホルモン(戦闘ホルモン)をドバドバと出し始めます。

これらのホルモンには、
「無理やり細胞を奮い立たせ、高揚させる」という働きがあります。

この時のシャキッとした感覚や、張り詰めた感じを、
多くの人が「本来の元気」や「若返り」だと勘違いしてしまう。

でもそれは、いわば「明日の分のエネルギーを前借りしている」
借金まみれの状態なのです。

アルプスの山を削り取って、無理やり水を絞り出しているようなもの。
やがて山は枯れ、体は冷え、細胞の構造を保つ力そのものが
損なわれていってしまいます。

焦らず、でも着実に

本当の意味での「若さ」とは、
カンジダに怯えて食事を制限することや、
ストレスホルモンで無理をさせることではありません。

細胞一つ一つに十分なエネルギー(ATP)が満ち溢れ、
免疫が正しく機能して、菌と調和していられる環境があること。

エビアンの湧き水が15年の歳月をかけて「構造」を作っていくように、
「良い糖」でエネルギーを回し、少しずつ体内環境を整えていく。

その先に待っているのが、
何年経っても枯れることのない、本物の潤いと健やかさなのです。

もし、今あなたが、
「なかなか体が変わらないな」
「結果が出るまで、あとどれくらいかかるんだろう?」
と不安になっているとしたら、
ぜひ、エビアンの15年という歳月を思い出してみてください。

地道に「良い糖」を摂り、ミネラルをバランスよく取り入れ、
体内環境をじっくりと『本来の健やかさへと研ぎ澄まして』いく。

そのプロセスこそが、
数年後のあなたを支える、混じり気のない「湧き水」を作っていることなのだと思います。

焦らず、でも着実に。
あなたの体という「大自然」の力を、信じてあげてくださいね。


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ローザンヌで起きた「水漏れ」事件。ハプニングを楽しめるかどうかは、代謝の底力で決まる

これは、電車を乗り継いで3時間の旅で、ローザンヌへ行った時の話です。

その時の夫の仕事(お茶)にお声がけくださった方が、ご主人と一緒に駅までお迎えに来てくださって、車がないとなかなか行きにくい場所を色々と案内してくださいました。

オードリー・ヘップバーンが晩年を過ごした村や家、そして教会。
広大な葡萄畑の中にそびえ立つヴュフラン城……。自分たちだけでは到底行き着けないような美しい景色を目の当たりにして、本当に感激の連続でした。

ただ、実は私……。
前日のアイガーグレイシャーからのソリで、どうやら膝を本格的に痛めてしまったようで(泣)。
まっすぐの角度で歩いている時はなんとか大丈夫なのですが、ちょっと変な方向にひねると「ズキン!」と疼くのです。

そんな不自由な体でしたが、そのご夫婦が私の歩調に合わせ、温かく案内してくださったことが、心からありがたかったです。

そして、夕方にローザンヌの街中の宿に到着したのですが……。
ここからが「旅の醍醐味(!?)」の始まりでした。

宿主から事前に連絡が来ていた入口の番号を押しても、ドアが全く開かないのです……。
慌てて連絡を取ってみたら、なんと全く違う番号を伝えられていたことが判明(汗)。なんとか無事に入ることはできましたが、最初からドキドキのスタートでした。

でも、入ってみればとっても綺麗な宿で、立派なキッチンも付いていました。
「ここなら3晩、快適に過ごせそうだな〜」と一安心。差し入れていただいた夕飯をホッとしていただき、家族で「じゃあ、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』でも見ようか」と、映画を楽しみ始めました。

……が、私はあまりの疲れと心地よさに、途中でうたた寝。
その間に夫と子供たちはシャワーを浴びていたようなのですが、突然、
「ドンドンドン!!!」
という激しいノックの音で目が覚めたのです。

「誰かがドアを叩いている……!」
怖くなって、シャワー室の夫に声をかけると、夫が急いで出てくれました。

恐る恐る「ハロー?」とドア越しに返事をしたところ、女性の声で、
「下の階のものだけど、上から雨漏りしてきているの! 20分くらい前からずっと。そちらの様子はどう?」
とのこと!

20分前……。
まさに、夫と子供がシャワーを使い始めたタイミングでした。

ドアを開けると、そこには女性が二人。
でも、彼女たちはとてもフレンドリーで、「私たちは今日からここに泊まり始めたばかりで、確かに20分前からシャワーを使い始めました。すぐにオーナーに連絡しますね」と伝えると、
「あら、日本からの旅行者なの? これはあなたたちのせいではないと思うわ。でも一応、連絡だけでもしておいてくれるかしら」
と、非常に丁寧に連絡先を教えてくださいました。

1. ハプニングを「楽しめる」かどうかは代謝次第

あの旅を通じて、改めて感じたことがあります。
それは、「旅(人生)にはアクシデントが付きものだ」ということ。

膝の痛み、ドアが開かないトラブル、そして深夜の雨漏り……。
これらが重なった時、私たちの体の中で何が起きているでしょうか?

エネルギー(代謝)が枯渇している状態だと、こうしたハプニングはすべて「脅威」として認識されます。
アドレナリンが噴出し、イライラしたり、不安で眠れなくなったり、せっかくの旅行が「最悪の思い出」に変わってしまうこともあります。

でも、細胞に十分なエネルギー(ATP)があり、甲状腺機能がしっかり働いていると、同じ出来事も「面白いエピソード」や「旅の彩り」として捉えることができるのです。

階下の住人の方々との交流も、エネルギーに余裕があったからこそ、落ち着いてフレンドリーに対応でき、結果として「スイスの人の温かさ」を感じる機会になりました。

2. 身体の「修復力」とエネルギーの貯金

また、この時痛めてしまった私の膝もそうです。
アイガーでの「極限の冒険」は楽しかったですが、体にとっては大きな物理的ストレスでした。

この痛みをただの「不運」で終わらせるか、それとも素早く修復して次の目的地を楽しむエネルギーに変えられるか。
ここでも、日頃からの「代謝の底力」が試されます。

修復には、タンパク質だけでなく、それを組み立てるための膨大な「糖エネルギー」と「ミネラル」、そして「酸素」が必要です。
ハプニングが起きても、それに動じない「気力」と、体を立て直す「体力」。
その源は、私たちが毎日何を食べて、どうエネルギーを回しているかに直結しているのだと痛感しました。

3. 楽しむための「気力」を養う

「旅は体力勝負」とよく言われますが、それは単に筋肉があるかどうかではありません。
予期せぬ事態が起きた時に、どれだけ早く「安心(副交感神経)」の状態に戻り、その状況を面白がれる心の余裕を持てるか。

その「気力」の正体こそが、脳と全身を駆け巡る「代謝エネルギー」なのです。

せっかくの人生、ハプニングも含めて丸ごと楽しみたいですよね。
そのためにも、日々の食事でしっかりと細胞の火を燃やし、アクシデントを「最高のネタ」に変えていける心と体を作って行きたいなとまた改めて思ったのでした。

ローザンヌでの残りの滞在も、膝をいたわりつつ(笑)、楽しもうと思ったのでした。


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アイガーグレイシャーからの生還。極限の「安堵」のあとのスープが細胞まで染み渡った理由

これは、スイスのグリンデルバルドに滞在していた時の話です。
その日は、これ以上ないほどの晴天に恵まれました!

前日の山は午後から曇り出し、視界が本当に悪くて……。正直、「絶景のアルプスを見れたか」と言われたら、ちょっと不完全燃焼な体験だったのです。

ところがその日は、天気予報では「曇り」だったのに、蓋を開けてみれば雲一つない快晴!
私が目を覚ました時には、夫と子供たちはすでに「もう一回、アルプスでソリにチャレンジするぞ!」と、やる気満々になっていました(笑)。

前日の「視界ゼロ」の中でのソリで、私自身もそれなりの成功体験(というか生き残り体験?)を積んでいたので、「じゃあ、せっかくここまで来ているんだから、一番高いところまで登ろうか!」と決断。

私たちが滞在していたグリンデルバルドから、最も高いアクセスポイント、標高2333mの「アイガーグレイシャー」に挑むことにしました。

快晴の中、そびえ立つアイガーの北壁を間近に見ながら、標高940mの町まで約3時間をかけて滑り降りてくる……という、壮大な大冒険の始まりです。

ところが、その冒険の裏側には、想像を絶する「極限状態」が待っていました。

1. 「絶景」と「絶叫」の間で

前日のあんなに怖いアドレナリン全開状態から一転、この日は素晴らしい景色を味わう余裕も少しだけ出てきました。
目の前に広がる真っ白な山脈と青い空。
「ああ、サイコー!!」と心からの喜びが沸き起こり、子供たちも弱音を吐かずに頑張っている姿を見て、何とも言えない達成感を感じていました。

でも、この時身をもって分かったことがあります。
それは、ソリって、実はスキーよりもかなり危険なスポーツだということ……!

まず、スピードがとにかく出やすい。
そして、ブレーキが利きにくいので一度暴走し始めると止まらないし、カーブで吹っ飛びやすいのです。
実際にスイスでも怪我人が多いスポーツなのだとか。

実は、滑っている間に私と子供も何回か転んだのですが……
一度、ものすごく大きな「吹っ飛び」を経験しました。

きついカーブを曲がりきれず、コース外の斜面へ。
頭が坂下を向いた状態で、私と小学3年生の娘は深い雪の中に投げ出されました。
動こうとすればするほど体が雪に埋まってしまい、しばらく身動きが取れなくなってしまったのです。

2. 雪の中での「救出劇」と代謝の安堵感

「どうしよう、動けない……」
そう思っていた矢先、同じように親子連れのソリが私たちのところに吹っ飛んできました!

なんと、私の上にそのお母さんが落ちてきて、ほとんど重なり合うような状態に(汗)。
さらに5歳くらいの男の子が私の少し上側に落ちたことで、結果的に私たちがストッパーになって、それ以上滑り落ちるのが止まったのでした。

そのグループにはお父さんが一緒にいたので、私と娘もそのお父さんに助け出してもらうことができ、本当に命拾いしました。
もし自力だけだったら、あの状況から抜け出すには相当な時間がかかったはずです。

さらに、ゴールの直前でまた転びそうになった時、膝を大きく捻ってしまい……。
私は足を少々痛めてしまいましたが、子供たちがどこも怪我をせず、無事に降りてこられた時には、心底ホッとしました。

この「助けてもらった」という経験と、無事にゴールできたという「極限の安堵感」。
これこそが、実は代謝を劇的に動かすトリガーになるのです。

3. なぜ「スープ」が細胞まで染み渡るのか?

山から降りて、くたくたになった足を引きずって入ったお店で食べたスープ。
それがもう、驚くほど美味しかったのです……!

滑っている途中、代謝が切れないように「糖補給」は欠かさず行っていたのですが、それでもあのスープの温かさと味は、特別なものでした。

ここで私たちが学ぶべき代謝の真実は、
「食事の美味しさは、空腹感だけでなく、その時の感情(安心感)に大きく左右される」
ということです。

生化学的に言えば、危険にさらされている時は「交感神経(戦うための神経)」が優位になり、消化吸収の機能は後回しにされます。
しかし、「助かった」「終わった」という安堵感に包まれた瞬間、体は一気に「副交感神経(修復と消化の神経)」へと切り替わります。

安心という「代謝の気候」が整って初めて、細胞は栄養を心ゆくまで受け入れる準備ができるのです。
どんなに栄養価の高いものを食べても、心が不安や緊張で凍りついている状態では、その栄養は十分に活かされません。

「安堵」こそが、最高の調味料であり、代謝のブースター。
極限の冒険の後のスープは、私の細胞一つ一つに「もう安全だよ、エネルギーを蓄えていいよ」というメッセージを届けてくれたのでした。

あなたも、忙しい毎日の中で、食事の前に一つ呼吸を置いて、「あぁ、今日も安心だな」という時間を作ってみてくださいね。それだけで、お食事の代謝効率はぐんと変わってきますよ。


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視界ゼロの雪山をソリで滑り降りて。不安(アドレナリン)を喜び(ドーパミン)に変える「本物のエネルギー」

これは、スイスの旅も中盤に入った頃の話です。
その旅で私が「何が何でも子供たちにさせてあげたい!」と心に決めていた、特別な体験についてお話しさせてください。

それは、アルプスでの「ソリ体験」です。

その旅からさかのぼること29年。
私が21歳の時にスイスで農業研修をしていたのですが、その時に体験したソリの記憶があまりにも鮮烈で……。「いつか自分の子供たちにも、あの銀世界を滑り降りる体験をさせてあげたい」という願いが、そのスイス行きが決まった時に一番に頭に浮かんだことでした。

夫のその時のスイスでの仕事はローザンヌ近郊だったのですが、研修先の農家を訪ねたベルンから少し離れた、グリンデルバルドというアルプスの麓の町に宿を取り、準備万全で臨みました。

ところが、旅は予定通りにはいかないものですね(笑)。

新しく積もったまっさらな雪に恵まれたのは本当にラッキーだった反面、、、
下調べを重ねて「ここに行こう!」と決めていたバスアルプという場所は、雪が凄すぎてなんと閉鎖……!
ソリ体験は怖くもあったので、本当に沢山下調べしていたのに(涙)

「ええ〜っ、そんなことあるの?!」と驚きながら、ソリを借りに入ったお店の店員さんに相談すると、
「今日はそこは無理だよ。代わりにゴンドラで標高2333mのアイガーグレイシャーに上がって、そこから滑り降りたら?」と勧められました。

でも……。
そこは難易度が高いと聞いていたし、午後の曇り空。
私は内心、かなり怖くなっていました。

「本当に大丈夫? 危なくない?」

そう聞く私に、店員さんは「足でブレーキしながら進めば大丈夫じゃないかな!」と、いかにもスイス人らしい(?)軽やかなお返事(笑)。

「悩んでいたら、ソリができる時間が終わってしまう!」
最後はバタバタと決断し、アイガーよりはほんの少し低いマンリッヒェン(それでも標高2230m!)にゴンドラで上がり、そこから1550mの駅まで約1時間をかけて滑り降りてきました。

1. 「足でブレーキ」という最強の安心感

一面の真っ白な世界。
ルートを示すポールを頼りに滑るのですが、あまりの雪でそのポールさえ埋もれて見えないこともありました。
色でルートが分けられているので、途中見間違うと、違うルートに入ってしまったりして、それはかなり急な道を行くことにも。

「この道で合ってるのかな……?」
「この先、崖になってないかな?」

視界が遮られると、私たちの脳は瞬時に「不安(アドレナリン)」のスイッチを入れます。
軍足(?)で雪を踏みしめるような、そんな原始的な感覚。
でも、そんな時に私を支えてくれたのは、あの店員さんの「足でブレーキすれば大丈夫だから!」という言葉でした。

これ、実は代謝の視点で見てもすごく深いんです。

私たちは複雑な問題に直面したとき、つい「もっと高度な技術が必要だ」「もっと準備しなきゃ」と思い込みがちです。
でも、本当に自分を守ってくれるのは、地面をしっかり踏みしめる「自分の足」という、最も原始的で基本的な身体の機能なんですよね。

「いざとなったら止まればいい」
その確かな手応え(足応え?)があるからこそ、私たちは未知の白い世界へ滑り出す勇気を持てるのです。
(まあ、私の場合は、いざとなったら転ぶ、を繰り返していましたが。笑)

2. 不安(アドレナリン)を止め、行動(グルコース消費)によって喜び(ドーパミン)への変換を増やす

ルートの目印が見えず、不安に襲われながら滑り降りる1時間は、正直かなり疲れました。
ややもするとスピードが出すぎてカーブを曲がりきれなくなるし。
一緒に乗せている娘がずり落ちないように、必死で抱きかかえているし。

でも、ふと遠くに駅が見えた瞬間……。

「やり遂げた〜〜〜!!!」

という、体の奥から溢れ出すような安堵とエネルギーを感じました。
これは単なる「終わった」という安心感ではなく、自分の力で不確かな道を突破した時にだけ得られる「自己信頼」のエネルギー。

実は、生化学的に見ても、この「不安と感動」は紙一重のところにあります。
ストレスの時に出る「アドレナリン」と、喜びを感じる「ドーパミン」。
この2つは、もともと同じ「チロシン」というアミノ酸から作られる、いわば兄弟のような物質です。

私たちの体が「不安」という回路にエネルギーを奪われているとき、チロシンはどんどんアドレナリンへと使われてしまいます。これが続くと脳は疲弊し、視野は狭くなり、代謝は停滞してしまいます。

でも、勇気を出して一歩踏み出し、「できた!」という達成感を味わうと、体はエネルギーの使い道を「生存のための闘い(アドレナリン)」から「喜びと報酬(ドーパミン)」へと一瞬で切り替えるのです。

不安(アドレナリン)を止め、行動(グルコース消費)によって喜び(ドーパミン)への変換を増やす。
これこそが、生きている実感を最も高めてくれる代謝のサイクルです。

3. 子供たちの「キラキラ」は代謝が高い証拠

滑り終わった後、3人の子供たちは顔を輝かせながら、声を揃えて言いました。

「たのしかったあ!!! 明日もやりたいっ!!!」

私が「怖かった……疲れた……でもやり遂げれた〜〜」と安堵している横で、子供たちはもう次の「やりたい!」に向かってエネルギーを全開にしていました。
この「切り替えの速さ」と「純粋な意欲」こそが、エネルギーがスムーズに回っている子供たちの素晴らしさです。

彼らの瞳の輝きを見たとき、心から思いました。
「決断して、やってみて、本当によかったな」と。

人生も、時に霧がかかった雪山のようかもしれません。
下調べ通りにいかないことばかりだし、目印のポールが見えなくなることもあります。

でも、そんな時は、思い出してほしいと思います。
「足のブレーキ」という自分自身の基本的な原始的な身体の力を信じること。
大いなる冒険の先には、想像していなかった達成感を感じている、新しい景色を見る自分が待っているということを。


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誰も悪くないのに、大事になる|「つらい」と感じる前から動いているアドレナリンの話

ある日、わが家の玄関に、警察の方がいらっしゃいました。

仕事をしていたら、子どもたちが「警察の人だ!」「おまわりさんが来た!」と騒いでいて。

何ごと?!と出ていくと、

「娘さんたちが100円を受け取りに来られたんですけど、あの派出所ではお渡しができなくて、隣町まで行っていただかないといけないんです」

と、ていねいに説明してくださるのです。

….100円を? 受け取りに? 警察に行ったの??

頭の中がはてなでいっぱいのまま、とりあえず「すみません….」と謝っていました。笑

100円が、家庭訪問になるまで

あとで子どもたちに聞いて、やっと全体がつながりました。

2ヶ月くらい前、一番下の小2の娘が、道で100円を拾って、近くの派出所に届けていたのです。

その持ち主が、結局あらわれなかった。

それで警察から「拾った方は受け取りに来てください」というお手紙が届いていたのですね。

漢字がたくさんで読めないところは、夫に途中まで読んでもらって。

これは、受け取りに行かなきゃ。

と、姉妹そろって、派出所まで出かけていった。

ところが、派出所には誰もいない。

「御用の方は、こちらにお電話ください」という貼り紙があって、それは隣町の本部につながる番号。

小4の娘がそこから電話をかけて、状況を説明したそうです。

「今からそちらに向かわせますので、待っていてください」

そして、隣町から20分かけて、おまわりさんが来てくださった。

子どもたちに「ここでは渡せないんだよ」と説明して、

「ご両親にもお伝えしておくね」と、わが家まで。

….というのが、その日の顛末でした。

全員が、持ち場で正しかった

毎日いろいろあるな〜とは思っていたけれど、こういう「いろいろ」もあるのだな〜と、顛末を知ってから、とても笑えてしまいました。

でも、笑いながら、ふと思ったのです。

大人のわたしだったら、100円を拾っても、「100円くらい」と思ってしまったかもしれない。

受け取りのお手紙が来ても、「わざわざ行くほどでもないか」と流していたと思います。

子どもたちは、100円を、100円のまま終わらせなかった。

拾ったから、ちゃんと届けた。

お手紙が来たから、書いてあるとおりに受け取りに行った。

誰もいなかったから、書いてあるとおりに電話をした。

警察の方も、決まりどおりに、ていねいに説明に来てくださった。

誰も悪くないんですよね。

全員が、自分の持ち場で、正しく動いている。

それなのに、100円が、おまわりさんの家庭訪問になった。笑

その、小さなことを小さなことのままにしない感じが、なんだか、体のほうに似ているな〜と思ったのです。

「つらい」と感じる、ずっと手前で

体も、小さなことを「これくらい」とは流しません。

1987年に、アメリカのCryer(クライヤー)先生たちのグループが、こんな実験を報告しています(Schwartz NS, Clutter WE, Shah SD, Cryer PE. The Journal of Clinical Investigation, 1987)。

健康な10人の血糖を、90 mg/dLから40 mg/dLまで、1時間ごとに10ずつ、階段を下りるように下げていく。

そのあいだ、体の中で「燃料を戻そう」とするホルモンが、どの段階で動き出すのかを測ったのです。

結果は、こうでした。

アドレナリン およそ69
グルカゴン およそ68
成長ホルモン およそ66
コルチゾール およそ58

そして、本人が「なんだか具合が悪い」と症状を感じはじめたのは、およそ53。

アドレナリンが動き出してから、本人が気づくまでに、15以上の開きがあるのですね。

論文のタイトルが、そのまま結論になっています。

「血糖を戻す仕組みが動き出す値は、症状が出る値よりも高い」

研究者たちは、この仕組みは下がりすぎた血糖を「直す」ためだけでなく、そもそも下がりすぎないように「防ぐ」ためにも働いている、とまとめています。

つまり、

体は、あなたが「つらい」と気づくずっと手前から、もう動いているのです。

わたしたちが自覚するのは、そのいちばん最後のところ。

おまわりさんが玄関に立ったところで、初めて「何ごと?!」と気づく。

でもその前に、拾う人がいて、届ける人がいて、手紙を書く人がいて、電話を受ける人がいた。

体の中にも、同じように、わたしたちの知らないところで動いている段取りがあるのです。

アドレナリンは、悪者ではない

アドレナリンと聞くと、「ストレスのホルモン」「悪いもの」というイメージを持つ方も多いと思います。

でも、この実験で見えてくるのは、アドレナリンは、燃料が細くなりかけたときに、真っ先に駆けつける係だということです。

心臓の拍動を上げる。

目を覚まさせる。

たくわえてあるものを動かして、なんとか燃料を届けようとする。

どれも、脳を守るための、決まりどおりの働きです。

ただ、その「決まりどおり」を、わたしたちは別の名前で体験しています。

胸がドキドキする。

夜中の3時に、パチッと目が覚める。

手足が冷たい。

ちょっとしたことに、イライラしてしまう….。

体の中では、係の人が持ち場で正しく働いただけ。

でも、受け取る側のわたしたちには、それが「不調」として届く。

見るのは「犯人」ではなく「最初の100円」

「大事」になると、わたしたちは、つい犯人を探してしまいます。

私の性格が弱いから。

もう年だから。

どこか、体が壊れてしまったのかも….。

でも、この1987年の実験を思い出すと、別の見方ができます。

体の中の誰も、悪くないのかもしれない。

みんな、自分の持ち場で、決まりどおりに、正しく動いただけ。

だとしたら、見るべきなのは「誰が悪いか」ではなくて、

最初の100円は、何だったのか。

のほうなのかな〜と思うのです。

お昼を、ちょっと抜いた。

忙しくて、夕方まで何も口にしていなかった。

甘いものを我慢して、ずっと気を張っていた。

体にとっての「100円」は、たいてい、それくらいの小さなことです。

体は「これくらい」と流さない

大人のわたしたちは、つい「これくらい」と流してしまう。

でも体は、あの子どもたちと同じように、小さなことをちゃんと拾って、ちゃんと届けてくれているのですね。

わたしたちは、それを「大事」になってから、ようやく玄関で受け取っているのかもしれません。

あなたが最近、「これくらい」と流している100円は、何ですか?


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大切な人を亡くしたあと、元気を取り戻す人がしていること|体内時計の針を合わせるのは「日課」

ある秋の連休の朝、義理の母に電話をしました。

義父が亡くなって、しばらく経ったころです。

ご主人に先立たれた周りのお友達が、いろいろと誘ってくれているようで、これまで映画に行ったり、自分の予定で動いたりすることが一切なかった母が、お友達と映画に行ったり、週に3回プールに通ったりしているとのことでした。

「毎日やることがたくさんあって忙しいの。こんなに幸せでいいのかしらね」

電話の向こうのこの言葉が、とても印象的でした。

これまで色々とやり遂げてきた人だからこそ、その先の自由を手に入れて、清々しく楽しんでいるのだな〜と、声を聞いていて感じました。

5時前のラジオ体操と、拭き掃除

母は、朝5時前には起きて、ラジオ体操をします。

それから、拭き掃除。

1日の日課を、淡々とこなしているそうです。

お父さんが亡くなって、だらけるわけでもなく。

毎日の日課を、ちゃんと続けている。

健全な精神と、健全な行動があって、周りからも愛されて、やるべきことを着々とやっている。

その姿が、本当に素晴らしいなと思いました。

「仕方がない」と思われている場所

連れ合いを亡くしたら、気落ちして、元気がなくなるのは仕方がない。

心の元気は心の問題で、体の元気は体の問題。

そう思いがちですよね。

でも、母の声を聞いていて、ああ、やっぱり全部つながっているんだよな〜と、改めて実感した朝でした。

心の健康と、体の健康。

そのどちらもが、毎日の行動の上に乗っている。

これは、気の持ちようの話だけではないと、わたしは思っています。

体内時計の針を合わせているのは、光だけではない

1988年に、アメリカの精神医学の研究者たち(Ehlers、Frank、Kupfer)が、「Social zeitgebers and biological rhythms(社会的な時計合わせと、体のリズム)」という論文を出しています(Archives of General Psychiatry)。

zeitgeber(ツァイトゲーバー)というのはドイツ語で、「時を与えるもの」。

ふつうは、朝の光のように、体内時計の針を合わせてくれるもののことを指します。

この論文が言っているのは、体内時計の針を合わせているのは光だけではない、ということでした。

人。

日々の用事や、求められること。

毎日の役割。

こうしたものも、体の時計を合わせる「時を与えるもの」として働いている。

そして、それを失うことで社会的なリズムが崩れると、体のリズムまで不安定になり、それがうつの引き金になりうる、という仮説です。

大切な人を亡くすというのは、その人を失うことだけではないのですね。

毎日同じ時間にごはんを作る。

同じ時間に声をかける。

相手の予定に合わせて、1日が回っていく。

そういう、自分の時計の針を毎日合わせてくれていたものを、まとめて失うことでもある。

母は、時計を自分で置き直していた

そう思って母の毎日を見直すと、

5時前のラジオ体操。

拭き掃除。

週に3回のプール。

誘ってくれるお友達。

全部が、「時を与えるもの」なのですね。

義父との暮らしの中で合わせていた時計を、母は、自分の日課とお友達とで、ひとつひとつ置き直していたのだな、と思いました。

本人は、たぶんそんなことは考えていなくて。

ただ、淡々と、毎日やるべきことをやっているだけ。

でも、その「淡々と」が、いちばん強いのかもしれません。

予測できる毎日は、脳の燃費がいい

同じ嫌な出来事でも「予測できない」「自分ではどうにもできない」が重なると、ストレスの反応が大きく、長引きます。

日課があるというのは、その逆側にいるということです。

朝、何時に起きるか。

起きたら、まず何をするか。

考えなくても、体が知っている。

毎日を「だいたい予測できるもの」として回せると、脳は、そこにエネルギーを使わずに済みます。

浮いた分を、お友達と笑うことや、映画を楽しむことや、「こんなに幸せでいいのかしら」と感じることに回せる。

大きな喪失のあとで、いちばん燃料が足りなくなりやすい時期に、母は、燃料の無駄づかいが少ない毎日を、自分で組んでいたのだと思います。

行動が先か、体が先か

わたしはいつも、脳が主で、体は従う側、というお話をしています。

脳にエネルギーが届いていなければ、どんなに心がけても、行動はついてこない。

それは今も変わりません。

でも、母の話を聞いていて思ったのは、これは一方通行ではないのだな、ということでした。

エネルギーがあるから、朝5時前に起きて体を動かせる。

体を動かして、リズムがあるから、毎日のエネルギーの使い方が安定する。

安定するから、また次の朝も起きられる。

ぐるぐると、行ったり来たり。

健全な行動の上に、健全な肉体がある。

そして、その体の上に、「こんなに幸せでいいのかしらね」と言える心がある。

滝と、おにぎり

その電話のあとは、家族で1時間半ほど歩いて、近くの滝まで行きました。

着いたら、みんなでおにぎり。

子どもたちが握ってくれたおにぎりでした。

こんなに近くで、自然に囲まれて、本当に気持ちがいいね〜と、みんなで大笑いしながら過ごした一日でした。

あなたの毎日の中で、考えなくても体が動いてくれる「日課」は、何ですか?


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「旅は気力と体力」子ども連れのアメリカ行きで気づいた、比較が感情を変え、感情がエネルギーを左右すること

これは、アメリカに向けて無事に出発し、到着した時の話です。

出発の前々日までカウンセリングと施術が入っていたのですが、前日は丸一日を旅支度に充てて(とはいえ、実践講座生のサポート対応はしつつ…)なんとか夜までにはパッキングを終わらせ、家も片付き、無事に出発できました。

私はアメリカにも3人の子どもがいて、毎年冬は彼らに会いに行くのが恒例になっています。

その年は、そのうちのひとり(上から3番目の娘)がスポーツで膝の靭帯を切ってしまい、手術とその後のサポートが渡米の大きな目的になりました。

当初は私ひとりで行く予定だったのですが、夫の仕事でNY行きの話が出て、最終的には家族全員でアメリカに行くことに。

夫と日本の子どもたちは約10日間一緒に過ごし、その後は私だけが残って看病を続ける予定でした。

小学生3人連れ、そして家を空ける1ヶ月

完全に家を空けることになるので、心配ごとが山ほどありました。

私一人で旅に出るのと、当時小学6年・3年・1年だった子どもたちを連れて出るのとでは、まったく負荷が違います。

帰国後すぐに関西の義実家でのお正月も控えていて、私自身が自宅に戻るのは1ヶ月以上先のことでした。

一番気がかりだったのは―鶏のお世話(笑)。

でもありがたいことに、ご近所の友人たちが引き受けてくれて、これには本当に感謝でした。

荷造りより“気力体力”

持って行く衣類は少ないけれど、アメリカの子どもたちへの日本食材、友人たちへのお土産、夫の仕事関係のお茶・お茶・お茶…。

子どもたちには基本「自分で荷造りさせる」方針なのですが、小1の娘の荷物を確認したら、パンツと靴下ばかり山のようにあって、シャツやズボンは1枚ずつしかないとか(笑)

しかも、出発数日前まで夫の子どもたち2人も滞在していて家はてんやわんや。

そのなかでご飯作って、掃除して、荷造りして…体も頭もフル稼働でした。

なので、無事に出発できただけで本当に達成感がありました。

「旅は体力」ほんとに実感!

旅の最初からすでに実感していましたが、やっぱり「旅は気力と体力」!!

私と夫は将来的にパーマネントトラベラー(定住しない生活)を目指していて、子どもたちがもう少し大きくなったら、もっと旅をしながら暮らすスタイルにしていくつもりです。

今はまだ「助走期間」。

だからこそ、「旅できる体」と「旅を楽しむ心」は、どんなときにも大切な資源だな〜としみじみ感じました。

NYへの移動も、この時は楽勝!

長崎 → 成田 → NYという行程。

この時は成田からNYまで直行便だったので、本当に楽に感じました!!

私も子どもたちも、映画を見たり、少し寝たりしているうちに到着した感じでした。

もちろん一番下の子(7歳)が「ママの膝で寝たい〜」となるので、膝に乗せてずっと起きていたり、足が他の乗客に当たらないよう気をつけたり…完璧に快適とはいきませんが、それでも 「全然楽!」。

「比較」が感情を変える

その2年前、嵐で飛行機が目的空港に着陸できず、11時間のバス移動が追加されて、合計移動時間51時間かかった…そんな体験があるので、この時は全然楽勝に感じました。

子ども連れ、、、で思い出すのは、お腹が妊娠8ヶ月のときに、アメリカから日本に3歳、5歳連れでワンオペで帰省したことがあって、あのときは私は20歳若かったはずだけど、今でも記憶に残るくらい大変だった思い出があります。

子供一人が「トイレ!」というと、お腹が大きい私と、子供2人ともを引き連れて飛行機のトイレに入るとか、ジュースが出たら、こぼすのだけど、それを拭きたいけどお腹大きくてかがむこともできない、とか、眠りたいからママの膝に横になりたいけど、私のお腹がせり出しているからうまく横になれない、とか、あのときは大変だったなあ〜と、まるで自分事じゃなかったように思い出していました。

思えば、私たちっていつも「比較」で感じ方が大きく変わりますよね。

「過去のあれよりマシだから良い」
「前より悪いから不満」

そんなふうに、無意識に何かと比べて一喜一憂しているのが私達です。
自分でも気づかないうちに、比較によって勝手に「嫌な気持ち」になっていることって多いと思っています。

私はそういうとき、自分の感情を検証するようにしています。

「いま私が嫌な気持ちになっているのはなぜ?」
「その理由は、事実?それとも妄想?」

嫌な気持ちが出ているとき、結構妄想(過去から来る信じ込み)がプラスされていや~な感情になっていることが多々あります。

フライト中の出来事から気づいたこと

その時のフライト中、
7歳の娘を膝に寝かせていたら、その足が機内食の食べ残しを蹴ってしまい、サンドイッチが床に散乱。
でも私はその時、身動きが取れずどうにもできない状態。

そんなとき、隣に座っていた独り身の女性が、首枕+毛布で綺麗に寝ている姿が視界に入ってきて、
「なんで私はいつもこんな大変で、あの人はあんなに快適そうなの…!少しは私も寝かせて!」
と一瞬思いそうになったんですが、(コレ、過去の信じ込み、あるあるな反応ですね)

ふと我に返って、
「泣かずに寝てくれてるだけでありがたいなぁ…」
と気持ちを切り替えることができました。

同じ出来事でも、どう捉えるかで感情は全く違ってきます。
それが、「いい旅だった」か「最悪だった」かを分けるんだと実感しました。

感情がエネルギーを左右する

ネガティブな感情に浸っていると、体のエネルギーも消耗します。

せっかく代謝が上がるような栄養を取っていても、感情でエネルギーがダダ漏れしていたら本当にもったいない!

「心と体のエネルギー漏れ」を防ぐことも、健康を保つ大切なポイントだなと感じています。

旅の中では家にいるほど食べ物も気をつけれないタイミングが多々あると思いますが、それはそれで楽しんで過ごそうと思っていました!

すでに機内食でプツッと腕に出ていたし。コレ食べたら体がこうだった、こう感じた、など色々観察するつもりでした!

またインスタの方でもシェアしていきます!


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「ありがとう」を返せる脳には、余力がある|子どもの脳は大人の約2倍の糖を使って心を育てている

一番下の娘が、8歳になった日のことです。

誕生日のリクエストは、「放課後に、ママと2人でデートしたい」。学校が終わってから、2人でアイスを食べに行きました。

夜は家族でごはん。流したのは、わたしがすっごく頑張って作った、この子の成長記録の動画です。生まれてからの記録を詰め込んだら、11時間半の超大作になりました。

中1の姉が作ってくれたケーキを食べて、夫が用意してくれていたプレゼントを渡して。

子どもは誕生日をものすごく楽しみにしているので、その期待に応えるのは毎年なかなか大変です。それでも、応えるべく頑張った一日でした。

その夜遅く、「もう寝るよ」と声をかけると、誕生日だった娘がテーブルで何かを一生懸命書いていました。

翌朝、テーブルの上に、お手紙が置いてありました。

パパ、ママ、お姉ちゃんたち一人ひとりの名前。

本当にありがとう。みんな大好きだよ。誕生日会、うれしかったよ。

誰かに「お礼を書きなさい」と言われたわけではありません。

うれしい気持ちの中で、それを感謝として、手紙で返そうとした。

できることが増えるのとは別に、わたしは「心が育っているかどうか」を、すごく気にしています。だからこそ、ああ、心が育ってきたんだな〜と、とても素敵な気持ちになった朝でした。

この記事では、この「心が育つ」ということを、少しだけ脳の側から見てみます。

8歳の脳は、大人よりずっと多くの糖を使っている

子どもの脳が、どれくらい燃料を使っているのか。

1987年、UCLAのChugani博士らは、PET検査(ブドウ糖に目印をつけて、脳のどこでどれだけ使われているかを写す検査)で、生後5日から15歳までの子ども29人の脳を調べました(Annals of Neurology)。

分かったのは、こういう時間の流れです。

生まれたときの脳のブドウ糖の使い方は、灰白質で100gあたり毎分13〜25マイクロモルと、低い。

それが2歳で、大人と同じ19〜33に追いつきます。

そこで止まらずに上がり続け、3〜4歳で、多くの領域が49〜65に達する。大人のおよそ2倍です。

そしてこの高さが、だいたい9歳ごろまで続きます。

大人の値に戻ってくるのは、10代の後半になってからです。

つまり8歳だった娘の脳は、まだこの高原の上にいた。わたしの脳のおよそ2倍のペースで、糖を使いながら毎日を過ごしていた、ということになります。

体の成長を後回しにしてまで、脳に回している

2014年には、Kuzawa博士らがこのPETのデータとMRIのデータを組み合わせて、脳のブドウ糖の需要を、体全体のエネルギーと比べました(PNAS)。

脳の需要がいちばん大きいのは、脳の割合が最大の「生まれたとき」ではありませんでした。

ピークは、子ども時代。

安静時に体が使うエネルギーに対して、脳のブドウ糖の取り込みは、男の子で66.3%、女の子で65.0%にあたる量でした。

そして、脳の需要がいちばん高い時期と、体重の増え方がいちばんゆっくりな時期が、重なっていた。

脳の代謝が落ち着いてくるにつれて、思春期までのあいだ、今度は体の成長が速くなっていく。

著者たちは、人間の子ども時代の成長がこれほどゆっくりなのは、発達中の脳にかかる燃料の高さを、体の成長を緩めることで埋め合わせているからだ、という考えを支持する結果だとまとめています。

体は、脳に燃料を譲っているのですね。

では、そんなに何に使っているのか

Chugani博士らは、この高い代謝の時期が、発達中の脳で神経細胞やシナプス(神経のつなぎ目)、樹状突起のとげをいったん多めに作り、そのあと余分なものを刈り込んでいく過程の時期と、ぴったり重なっていると指摘しています。

作って、試して、残すものを選ぶ。

子どもの脳は、その工事の真っ最中です。

うれしいを感じる。それが誰のおかげかに気づく。相手の顔を思い浮かべる。言葉を選ぶ。明日の朝に読んでもらうことを考えて、今夜のうちに書いておく。

8歳の子にとって、これはまだ出来上がっていない回路を、何本も同時に使う仕事です。

感謝は、余力のある脳から出てくる

ここからは、わたしの読みです。

以前『マイルドな我慢は、脳の家計簿にどう載るのか』で、脳は予算が足りないとき、結果がすぐに出ないものから削っていく、と書きました。

修復。維持。成長。そして、好奇心や遊び心、「やってみようかな」と思う心の余白。

「してもらったことに気づいて、相手に返す」も、この列に並ぶものだと思うのです。

今日を生き延びるためには、必須ではない。

だから、燃料が足りない脳では、真っ先に後回しにされる。

Dr. Stephensの枠組みでいえば、脳に届く燃料が少ないと、脳はまわりを「危ない」と読み続けます。危ないと読んでいるあいだ、脳の関心は自分を守ることに向いている。

相手のほうを向けるのは、「自分は大丈夫」と感じられているときです。

誕生日の一日は、この子にとって、自分が大切にされていることを浴びる一日だったはずです。

ママを独り占めしたアイスの時間。自分だけの動画。お姉ちゃんのケーキ。

満たされて、安心して、そのうえで、あふれた分を「ありがとう」にして返してきた。

わたしには、あのお手紙が、そういうふうに見えました。

大人の「ありがとう」も、同じ燃料で動いている

大人に置き換えると、思い当たることがあります。

疲れ切っている日は、家族が何かしてくれても、気づかない。気づいても、口に出す前に次の用事に追われている。

そういう自分を見て、「わたしって、感謝の足りない人間なのかしら」と思ってしまう。

でもそれは、性格の欠陥というより、その日の脳の予算の状態かもしれません。

脳は、心の仕事と体の仕事を区別しません。気づく、思いやる、言葉にする、も、ちゃんと燃料を使う仕事です。

子どもの脳が、体の成長を後回しにしてまで燃料を集めて心を育てているように、大人の心の余裕にも、燃料が要る。

「ありがとう」が自然に出てくる日が増えてきたら、それは脳に余力が戻ってきている、ひとつのしるしなのだと思います。


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「旅は体力」パリで想定外が続いて気づいたこと。トラブルを楽しめるのは代謝のキャパがあるから

これは、夫の仕事にくっついてパリに行っていた時の話です。

私にとって旅って、素敵だし、楽しいし、絶対やり続けたい事の一つですが、
あの旅に出てみて、改めて、
『でも、旅をするためになくてはならないものが、「なにはともあれ、体力だな」』ってつくづく感じました。

楽しむって、それ以前に体が辛すぎたり、不調だったら、ぜーったい楽しめない。

この時も、初っ端から想定外のことがありました。

北京のはずが「大連」でした

福岡出発、北京乗り換えでパリに行く便を取ったと思っていたのですが、最初の乗り換えの北京についた〜〜と思ったら、そこは北京ではなく、なんと「大連」でした!

なんでも、詳細のところにめっちゃ小さく「テクニカルストップ」って書いてあるのがこの大連でのストップだということらしい。

「テクニカルストップ」とは名ばかりで、機内から出て、イミグレーションも通って、外に出て、もう一回出発口からチェックインしてから飛行機に乗らないといけない、、、という。

そんなん、しっかりトランジットじゃん!と、誰に文句も言えず、隣に乗っていた中国人の乗客は「これが普通だから」と。。。

いやあ、自分の中の普通がこうも当たり前に普通じゃなくなるってホント面白いなあ、って思った旅の初っ端の出来事でした。

旅って(人生もだけど)こういう想定外なこと、が起こるのが、もう当たり前ですよね。
特に海外に出ると、自分の常識が常識として通用しないので、色んな意味で試されるなあって思います。

子どもたちも何が起こっているかわからず、でもとりあえずついてくるしかないって感じで、北京にまでついたときに、すでにぐったり疲れ切ってました。

でも、持ってきてた手つくりグミゼリーを食べたり、6時間待ちなので、空港で夕飯食べたりして、その後、有料シャワーも見つけて、シャワー浴びてさっぱりして、仮眠して、その後いよいよパリ行きに夜中の2時に乗って11時間。
やっとパリに到着という流れでした。

「この状態どう乗り切る?」が濃縮するのが旅

その旅は1週間ほどの滞在で、夫は2日ほどはフリーでしたが、あとは仕事。
つまり、私と子どもだけでパリを動くことに。

電車も利用してあちこち行って観たのですが、電車一つ乗るって言っても、切符どう買うの?から始まり、やっと改札通れた、と思ったら、下の子がおしっこしたい!と言い出す。

トイレを探すも見つからなくって、改札出て、外でトイレを探すか、とりあえず、電車に乗って他の駅まで行くのか、選択を迫られる、笑。次の駅まで行こう、ということになり、でも、次の駅に着いたときには、上の子が「お腹痛いから私もトイレ!!!」と今にもやばい位青くなってて、さらに必死にトイレを探す。

やっと見つけたトイレは一人ひとり入る時に1ユーロ支払うシステム。
支払いが済まないとゲートが開かなくって、うまく払えない人でそのゲートが詰まってる状態…

やっとのことトイレが済み、ホッとしたのもつかの間、11歳の娘の鼻からタラーっと鼻血が。。。(暑さでのぼせて)

。。。こんなふうに、「この状態どう乗り切る?」が日常以上に濃縮するのが旅だなあ、って、自分を客観的に見ていて笑えてきました。

その時はアメリカに住んでる上の子もパリで合流していたのですが、
「ママ、よくこんなことを25年間もやり続けているよね….」と変な感心をしてくれていました。笑

代謝を上げると「自分のキャパ」が上がる

旅をするためになくてはならないものが体力だって書いたのですが、
旅先でも、旅に出てきているお年寄り御夫婦を見かけました。その方たちは旅が楽しいからこうやってやり続けていらっしゃるんだろうな、って思います。つまり、旅を楽しむ体力があるってこと。

私の親は旅するお金も時間もあるけど、旅をするエネルギーがなくって、結局旅をしない事になっています。

私は『旅』ということで書いているけど、これって『人生という旅』も同じだなあって思っています。

私は旅(人生という旅)をトラブル乗り越えながらも楽しんで続けれるためにも代謝を上げてエネルギーを持っていたいなって思います。

何か出来事があったときに、自分のエネルギーがあるのか、ないのかで、その出来事の乗り切り方が大きく変わるし、
アクシデントをやり過ごしたあとも自分へのダメージも大きく違います。

代謝を上げると、エネルギー持ちになるので、『自分のキャパ』が上がります。
だから、何かが起きた時に、対処する力がある状態になるのです。

私が代謝を上げて『エネルギー持ち』で居たいなって思うのは、楽しむキャパを持ち続けていたいって思うからだなあ、ってつくづく思います。

さすがプロメタボリックアプローチを実践して2年位になっていたので、あの旅の間も便秘になることもなく、快適に楽しく過ごせたことに感謝でした。

普段家では食べないものもよく食べたし、体がどこまで大丈夫なのか、を観察するのも面白かったです。


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