健康への関心は高い方と、そうでもない方と、様々です。
きっと、健康に関心がない方はそもそもこのような健康業界でのああでもない、こうでもない、という議論はどうでも良いことなのだろうな、と思いつつ、関心がある人、なにか改善したいことがある人に届けばいいな、と言う願いを込めて、今日もこの記事を書いています。
昨日は、健康への関心がとても高かったけど、生理も止まってしまってた女性についてのお話をシェアしましたが、 今日は、少し私の健康へのジャーニーをシェアしてみたいと思います。
私は大学時代にチアリーディング部に入りました。そして、その頃から痩せる、太るにどんどん敏感になっていきました。
姉が置き換えダイエットで痩せたのを見て、私もやってみることにしました。
姉は何度目かのトライで、「前ほど痩せない」って言い始めていた頃でした。
今思うと、それは、Low Metabolism 低代謝になっていってる最中で、そのやり方はすでに危険信号が点滅している状態なのにも関わらず、そんなことは理解も出来ていない私は、どれどれ、私もそれやってみる!と飛びついたのです。
するとみるみるうちに1キロ、2キロ痩せるのです。
3キロなんて、あっという間に痩せれて、置き換えした夜なんてお腹も真っ平ら!
「こんなに簡単に痩せれるもんなんだな!」 と勝ち誇った気がしました。(これがダイエットの危険な所です)
でも、食欲旺盛な若者だった私、置き換え後には、それを取り戻す以上の食欲が湧く。
母が作った煮物なら良いだろう、カロリーも低いのでは?と、食べ始め、食べ始めたら最後、鍋いっぱい食べちゃう。 昨日の夜には真っ平らだったお腹が、見苦しくふくれている(涙)
そう思って、また次の日から厳しめにダイエットを始めます。
私の最初の頃のダイエットは、そんなふうに食べては、限界まで空腹になるまで頑張る、 限界が来てまた最後の晩餐的に食べちゃう、てことの繰り返しでした。
食べすぎた夜の翌朝はもちろん抜いて、昼も学食でわかめうどんとかのカロリーが少なそうなものをチョイス。
あの頃はいつも食べ物のことを考えていました。 何を食べたら太るとか何を食べるべきか、とか。
お腹が空いている状態が【正】だったし、お腹がいっぱいな事に【嫌悪】していました。
でも、ついつい食べちゃう、そんなジレンマに苦しんでいる時期でもありました。
友達でとんかつとか、牛丼とか、カレーとか、カロリーが高そうなものを平気で食べている細い子に対して、なぜそんな物が食べれるのか、そして、どうしてそれを食べてもその細い体で居られるのか?といつも疑問に思っていました。
本当に、今思うと、病的ですね。
昨日オーソレキシアという物があるよ、ってちょっと書きましたが、
健康志向すぎて、何を食べるべきか、食べないべきかを極度に気にする状態がそれなのですが、私は「間違った健康」への考えにおける、しっかりオーソレキシアだったと認識しています。
わたしの性格的に、何でも突き詰めて極端にやってみないと気がすまないところがあるので、今でもその傾向にならないように自分では注意しているところです。
でもね、あの頃は、栄養不足で脳に栄養が行っていなかったのもあり、ますます狭い考えになっていたのだろうな、と思います。
あの頃の私には栄養知識なんて皆無でした。
今思うと、そら恐ろしいです。
でも、きっと大学3年生で学校を休学してスイスに1年行った事が私の人生の第一の転機になりました。
1年間ファームステイなので、私のダイエット方法を続けるなんてことが出来なくて、おまけにスイスの農家では研修生の私が毎日食事作りする役割になり、ひたすら食べ物を扱う役割になりました。
今までだったら、太るから食べないことをチョイスして来てた仔牛肉とキノコの生クリーム煮を作ってその農家の家族といっしょに食べるのです。
それ以外にも研修生が会ってお互いを励まし合って、豚農家で研修をしている男の子が「タブレローネ」というスイスの高級チョコレートのB級品を皆に配ってくれるわけです。
その子の農家では、そのB級品チョコを豚に与えているとのことでした。
言葉もスイス語なまりのドイツ語のなか、気晴らしはそのチョコだったのもあり、また、日本の【チアリーディングやってる女子大学生】という華やかな女子の軍団から離れる事ができてなのか、私は、ダイエットと言う言葉を一時期忘れて、食べたいだけ食べる生活をやっていました。
結局12キロ太った1年でした。
スイス研修の最後の方には流石にこのままじゃ日本に帰れん!
と気がついた私は運動を取り入れ始めて、少しは痩せて帰ったのですが、それでも、まるまる太って帰ったのでした。
あの頃は、なんて恥ずかしい、と自分がとても嫌だったけど、でも、栄養失調で代謝が落ちた私にとって、太ったとしても栄養がふんだんに入ったあの一年は私の身体にはとても良かったことだったな、と今になって思っています。
さて、日本に帰ってきて、大学4年生を東京で過ごす事になった私は、一人暮らしになります。
スイスでの経験が出来たので、自分で色々作りはするのだけど、相変わらず痩せていることが美しく良い事という認識なので、野菜たっぷりのご飯が「健康」と思って自炊していました。
クリーンなダイエットをしては、時々暴食するということをやってる時期でした。
基本的には痩せている体系を維持出来ていたけど、でも再び、痩せる、太ってるがいつも気になっていました。
そんな時に、友人がホリスティックな観点からオーガニックで食べることで心も体も健康になる趣旨の本を貸してくれ、オーガニックものにこだわり始めたのはこんな頃。
でも、ストイックにやってみて、寒天を沢山たべる事を習って、便がたくさん出ることは経験したけど、そのやり方は結局長続きせず、わたしはまた暴食する、、、
つまり、
わたしは大学に入ってからというもの、スイス時代を除いては、自分の食べることに関していつも監視して、頭で考えて食べることをし続けて来ていました。
そして、それが途切れた時に、意思をはたらかせず食欲に任せたら暴食する。
そんなことを繰り返すうちに、自分が食欲に任せて食べることは【悪】だ、いつも、何をどれだけ食べたか、監視していないと行けない、というレッテルがついてしまったのでした。
まだ、自分のダイエット歴史の前半なのに、こんなに書いてしまいました。
続きは明日書くとして。。
今、過去の自分に伝えてあげたいことがいっぱいあります。
なぜ、暴食してしまうのか、それをどうして行ったら、自分の食欲に任せて食べ、それでも、食べすぎることがなくなり、心地よく日々の生活ややりたいことに自分が全力で集中して向かえるのか、お腹がすくまで食事のことは忘れて活動に集中できるのか。。。
ダイエットの迷宮に迷い込むと、本当に抜け出すことが難しい場合があります。
私は暴食して自己嫌悪になる悪循環があったけど、まだ吐くというような事が出来なかったから、過食嘔吐にはならなかったけど、過食嘔吐に悩んでいる方もとても多いのを知っています。
そして、そういう場合は、ますます自己信頼が失われることになっています。
今、過去の自分に言えること、それは、食べたいだけ食べて、それでも、健康で太ってなくて、そして、やりたいことに専念できる食生活は存在するのだよ、と。
食べることに頭を使う代わりに、そのエネルギーをやりたいことに使えるのだよ、と。
そして、食べたら太る、野菜たっぷりじゃないと太る、脂肪は太る、炭水化物は太る、それらは正しくもあり、全くナンセンスでもあるということを。
このスレッズの投稿でお伝えしてきている、
「体の代謝機能を最適化し、全体的な健康とウェルネスを向上させることを目指す栄養とライフスタイルの戦略」を
【プロメタボリックアプローチ】といいます。
プロメタボリックへの旅は、基本的に生理学の理解と、食べ物がどのようにサポートするか、または潜在的に有害であるかを理解していき、特定の食べ物が代謝や生物学をサポートする方法を理解し、優先することを学んでいくことなのです。
それは、既存のいわゆるなにか空腹を我慢する苦しい「ダイエット」では決してありません。
空腹を我慢するダイエットからは、本当の健康な美しさは生まれません。
だって、それは、右回ししなきゃいけないことを左回ししているようなものだから。
学べば、学ぶほど、ダイエットが馬鹿らしいことだったと知るのです。
あんなに膨大なエネルギーと時間をかけて私は何をやっていたのだろう、と過去の自分が痛ましくなります。
わたしは、あの頃から20年以上たってから、やっとここにたどり着いています。
そして、姪っ子や、20歳の娘やその友達のやっていることを聞くと、あの頃の自分と変わらない状況が今の若者にもあるのだと言うことを知ります。
そして、それは、若者だけではなく、世の中ほとんどの人、健康でありたいと意識を健康に向けた人が、また、痩せていたい、と意識をダイエットに向けた人が陥る罠なのではないか、と思っています。
健康業界はなにかの食品を売りたいからその健康への効果を、科学論文も添えて、そこだけ切り取って宣伝しているのです。
大豆が健康に良いという宣伝を鵜呑みにしていた頃は、毎日何かしら大豆製品が食卓に並んでいました。
アメリカは豆腐も1丁400円以上するのに、せっせと食べ、豆乳でヨーグルトも作り、味噌も毎年大量に作っていた頃がありました。
「砂糖は中毒性があるから危険」なんて大きな嘘っぱちだということは、理論としても理解しているし、私やクライアントさんの体験を通しても実感しています。
もし、今、なにか健康に心配があるなら、今が立ち止まって見てみるときだと思います。
さて今日の話が少しでも参考になったら嬉しいです。