ある栄養のセオリーが「科学的であるのか」と言う問いは、
実際に現場に立っている科学者にしかわからないことだなーとつくづく思います。
世の中には右の説が正しいという人が居て、その研究論文が沢山用意されている、
そして、よーくみていくと、なんだか、現実の症例が合わなくて、
そんななか、実は左の説が正しいという人も居ることを知り、
実際その研究論文は抑圧されながらも存在していることを知る。
私達はそんな世の中に生きていると思います。
この、私が連日お伝えしている、「実はPUFAは体に良くない」という結論に至ることも
並大抵の頭脳ではない持ち主が言い出した功績だとおもうのですが、
やっと、その大元の血みどろの戦いをした研究者のことがわかってきました。
ことのスタートになる研究者はギルバート・リン博士。
彼は、農村で育ち、中国の重慶にある大学に入学し 1944年に生物学の奨学金であるボクサー賠償奨学金を獲得しアメリカで研究をすることに決めます。
しかし、当時、中国からの旅行は大西洋を横断するフライトに乗るほど簡単ではありませんでした。
彼らはインドのカルカッタに飛びました。
その後、アメリカへの船に乗りました。 それは1ヶ月かかり、嵐の後に嵐に遭いました。
彼の友人たちはすべて病気で横たわっていて、リン博士は彼らに食事を提供することができたので、非常に誇りに思ったそうです。
最終的に、彼らはやっとはマンハッタンに近づき始めました。
その時のマンハッタンは二度と味わえないくらい印象深いものだったそうです。
仲間たちとは、9,000マイルの自動車による西部の旅行もしたりして、
リン博士の友人達は後に物理学のノーベル賞を受賞しました。
奨学金と共に、彼らは研究したい教授を選ぶオプションがありました。
そして、リン博士はシカゴ大学のラルフ・W・ジラード教授を選ぶことにしました。
そこで、未来の妻となるシャーリー・ウォンとも出会います。
当初は結婚したら中国に戻る予定だったけど、 中国の状況の大きな変化が彼の帰国を不可能に。
それで彼は学んだことを活用し、全人類に役立つものに変えるためにアメリカに留まることに決め、シカゴ大学では、リン博士はガラス毛細管マイクロ電極を洗練するのを手伝い、
かつて原始的な道具だったものが現代生物学の基石となり、複数のノーベル賞の受賞の基盤へとながりました。
科学の未来は明るく見えたのでしたが、リン博士はまもなく科学のドグマに挑戦する結果を学ぶことになりました。
彼の博士課程の研究は生きた細胞の電位に関するものでした。
彼はある月曜日の午後のセミナートークをするよう依頼されました、
そしてトピックは【ナトリウムポンプ】でした。
彼は図書館で時間を過ごし、読みました。
根底にある理論は膜理論でした。その瞬間まで、細胞は船のように考えられていました。
これは半透過性と呼ばれます。
世界には2種類の分子しかないと言います。
それらは入ることができるか、入ることができないか。
そして、入ることができないものは永遠に外に留まります。
どのくらい長く?永遠にとのこと。
でも、それはただ意味をなしませんでした。 リン博士はある結論に至ってしまったのです。。。。
そしてついに、月曜日の午後が来て、 リン博士はナトリウムポンプについての話のために演壇に立っていました。
ナトリウムポンプについて聞きに来た彼の聴衆に彼が最初に言ったことは、
「私は今日、ナトリウムポンプについて聞きに来たあなた達に、本当に伝えることが何もないのです。」ということでした。
「ナトリウムポンプという名前だけがあります。ナトリウムポンプの実体はまったくありません。」
「ナトリウムポンプ、それは一体どのように機能するというのですか?」
その時、リン博士は尊敬し、愛する2人の教授に壇上から連れ出されました。
そして、二人からほぼ「同じアドバイス」を受けました。
それぞれが彼に言いました。
「ギルバート、あなたは私たち全員が愛している人です、 そして私たちはあなたが殉教者として人生を過ごすことを望んでいません。
ですから、ナトリウムポンプのことなんか放っておいてください。それは聖なる牛です。」
(「神聖な牛」という表現は、批判や問題提起を許されない、触れてはならないとされる概念、理論、制度などを指す比喩的な言い回しです)
彼は答えます。
「科学の一部を聖なる牛にするとはどういう意味ですか?
私はアメリカに来るために長い時間と努力を費やしました。
科学の誠実さを聖なる牛を怒らせないためにあきらめることができますか?」
その後、ギルバート・リン博士は世界的に有名な機関で重要な地位を保持するようになりました。
数十年にわたり、彼は細胞の仕組みに関する画期的な新理論、関連誘導仮説を定式化しました。
この理論は、細胞の分子活動は膜のポンプやチャネルではなく、水とタンパク質の特別な配置によるものであると主張しています。
しかし、真剣に受け取られるどころか、彼の物議を醸す理論のせいで彼のキャリアは解体されていきました。
彼は言います。 「その時、私は世界中から来た博士課程の学生やポスドクでいっぱいの研究室を持っていました。 【すでにある権威】は私がお金を得ることを不可能にしました。」
そうして、彼は研究資金を絞られて、研究が継続出来ないようにされていったのです。
「私は科学に信念を置き、支援を得られることを望みました。
私は何も持っていませんでした。私は通りに一人残されました。」
彼がこの状況を妻に伝えたとき、彼女は言いました、「ギルバート、私たちの銀行口座には今45ドルしかありません。」
1988年に彼は地位と給料を失ったにもかかわらず、ドクター・リンは生命がどのように機能するかを最も深いレベルで研究し続け、彼の先駆的な作業は新しい世代の科学者を刺激しました。
そして、おそらくギルバート・リン博士がやってきたことへの最大の証として、最初の全身MRIの発明者であるレイモンド・ダマディアンは、彼らの発見の故に彼を信用しています。
(ギルバード・リン博士の功績があって、全身MRIは発明されるに至ったのです)
ある女性研究者が言う事には、
「私はギルバート・リンの本をいくつか手に入れました。それらは読むのが簡単ではありません。
私は5回試みました。最終的に彼が何を言っているのかを理解しました、そしてそれは、驚異的です。
私はギルバート・リンが天才であり、非常に知的で正直な人だと思います。」
「彼の科学への貢献は非常に大きいので、彼にはノーベル賞が与えられるべきでした。」
彼は、ある教授がどれほど反科学的で、
彼らがどれほど容易に彼の全ての立場を解体するかのリトマス試験のような存在だったのでした。
生前のギルバート・リン博士がこのインタビューの最後に言っていたことは
「もし現在ある【科学】の定説が私たち自身の仕組みという基本的なことについて部分的に間違っているとしたら、最も破壊的な病気のいくつかの治療法が依然として私たちを避けているのは驚くべきことではありません。
私にとって最も興味深いことは、私が発見したことを次世代に残す方法です。
なぜなら、最悪の状態は、私が亡くなったときに全てが消えてしまうことです。」 っということでした。
今日シェアしたのは、彼のインタビュー動画からの内容です。
リンクはコチラhttps://youtu.be/fVIbcg3La_E?si=dGnOYk-n5D3cvRjF
実際のギルバート・リン博士の理論については、もう少し理解できた日が来たらシェアしたいと思っています。
さて、この偉大なギルバート・リン博士の意思を継いだ人たちがいて、 その一人がRay Peatという博士でした。
そう、【PUFAが危険だ】という結論を言い始めたのはRay Peat博士なのです。 残念なことに、この博士も数年前になくなってしまっていますが、 彼らの功績、特にRay Peat博士の功績は健康に真剣に向き合う人たちの中で今なお検証されています。
プロメタボリックアプローチは世界中で広がっています。 さて、今日の内容が少しでも参考になったら嬉しいです。