常連のクライアントSさんとの会話。
施術中にはそのクライアントさんによって、色々なお話をさせていただくのですが、その方は、頭の付け根のところが固くなってて、そこはストレスが溜まると固くなる場所なので、その事をお伝えしていたら、
「確かにストレスがあって〜つい先日、久しぶりに激怒したのです〜」とお話され始めました。 ご自身は出かける用事があって、でも、家族のために早起きして、一生懸命朝ご飯を作って、予定に出かけたそうです。
でも、家に返ってくると、その朝ご飯は一つも食べられていなかった。
そして、家族は自分たちで外出して、外出先で外食をしたと。 その状態に無性に腹がたったそうです。
その、お気持ちはわかりますよね。
でも、これ、MBT(メンタルビューティー)のメソッドでやることなのですが、その怒りの感情の下には、自分が自分に課している「〜〜べき」があるのがわかりますか?
「相手がせっかく作ってくれたものは、ちゃんと食べるべき」ふつうにそう思っているから、相手がそれに反した事を平気でやってのけると、怒りや悲しみというネガティブな感情で出てきます。
でも、この、「相手がせっかく作ってくれたものはちゃんと食べるべき」って本当に真理として正しいことなのでしょうか?
「食べたいなら食べる、食べたくないなら食べなくていい」のではないのでしょうか?
私達は、親や社会から植え込まれたことがいつの間にか自分の【正】のフィルターになって、
知らず知らずに、自分はそのフィルターを通して物事を判断したり、自分の行動を決めたりしています。
多分、そのクライアントさんは相手が自分のために作ってくれた時には、お腹が空いていなくてもありがとう!と言って食べるのだと思います。
「そうすべきだ」と思っているから。
でも、もはや自分が、そう思っているということさえ認識せずに、普通にそれをやってしまうのです。
心地よくなくても。
誰かの言動に腹が立っつとか、悲しみが沸き起こるとか、そういう風に感情が動く時、私達が潜在意識に持ってしまっているフィルターが反応してるのですね。
だから、そのときは、そのフィルターを見直せるチャンスなのです。
普段は埋まってしまってることなので、少し前に、瞑想の危険性を書いたけど、実は、瞑想は掘り起こさなくていい潜在意識の根底のことまでが勝手に掘り起こされてしまうのですね。
私は心の業界に10年以上いたので、そこへの危険性もすごく危惧していて、
だからこそ、
感情が起こった事=顕在意識化していることのみフォーカスする事が安全で変化し易い事なのだ
という自分なりの結論があり、このメンタルビューティーを伝えているのですが、その施術しながらのクライアントさんも、この感情を起こしているのは、自分の持ってるフィルターだ!ということに気づかれたので、【出来事への見方】が文字通り180度変わる体験をされました。
家族への怒りが「ああ、家族はあれでよかったのだ」に変わり、「私は、本当はもっとこうしたいんだ」が出てきたのでした。
出来事で、感情がでるのは、自分は本当は何を求めているのか?本当はどうしたいと思っているのか?ということを見つめ直すチャンスなのです。
この時に、「相手が〇〇してくれたらいいのに」と、相手が変化することを求める方がいるけど、それは方向性が違います。
相手は自由にしていいのです。
相手がどうであっても、それによって、機嫌を左右されているのは【自分】なので、問題は【自分】なのですね。
その根底には、自分を縛っている信じ込みがある場合がほとんどです。 しばらく体験カウンセリングも出来ていないのですが、その体験では、ボディーのお悩みか、心のお悩みかを選んで頂き、目からウロコを経験していただいたりしています。
体を変えていく事と、心にある要らないフィルターを交換することは両輪としてとても大切だと思っています。
今日の話が参考になったらうれしです。