ある日、わが家の玄関に、警察の方がいらっしゃいました。
仕事をしていたら、子どもたちが「警察の人だ!」「おまわりさんが来た!」と騒いでいて。
何ごと?!と出ていくと、
「娘さんたちが100円を受け取りに来られたんですけど、あの派出所ではお渡しができなくて、隣町まで行っていただかないといけないんです」
と、ていねいに説明してくださるのです。
….100円を? 受け取りに? 警察に行ったの??
頭の中がはてなでいっぱいのまま、とりあえず「すみません….」と謝っていました。笑
100円が、家庭訪問になるまで
あとで子どもたちに聞いて、やっと全体がつながりました。
2ヶ月くらい前、一番下の小2の娘が、道で100円を拾って、近くの派出所に届けていたのです。
その持ち主が、結局あらわれなかった。
それで警察から「拾った方は受け取りに来てください」というお手紙が届いていたのですね。
漢字がたくさんで読めないところは、夫に途中まで読んでもらって。
これは、受け取りに行かなきゃ。
と、姉妹そろって、派出所まで出かけていった。
ところが、派出所には誰もいない。
「御用の方は、こちらにお電話ください」という貼り紙があって、それは隣町の本部につながる番号。
小4の娘がそこから電話をかけて、状況を説明したそうです。
「今からそちらに向かわせますので、待っていてください」
そして、隣町から20分かけて、おまわりさんが来てくださった。
子どもたちに「ここでは渡せないんだよ」と説明して、
「ご両親にもお伝えしておくね」と、わが家まで。
….というのが、その日の顛末でした。
全員が、持ち場で正しかった
毎日いろいろあるな〜とは思っていたけれど、こういう「いろいろ」もあるのだな〜と、顛末を知ってから、とても笑えてしまいました。
でも、笑いながら、ふと思ったのです。
大人のわたしだったら、100円を拾っても、「100円くらい」と思ってしまったかもしれない。
受け取りのお手紙が来ても、「わざわざ行くほどでもないか」と流していたと思います。
子どもたちは、100円を、100円のまま終わらせなかった。
拾ったから、ちゃんと届けた。
お手紙が来たから、書いてあるとおりに受け取りに行った。
誰もいなかったから、書いてあるとおりに電話をした。
警察の方も、決まりどおりに、ていねいに説明に来てくださった。
誰も悪くないんですよね。
全員が、自分の持ち場で、正しく動いている。
それなのに、100円が、おまわりさんの家庭訪問になった。笑
その、小さなことを小さなことのままにしない感じが、なんだか、体のほうに似ているな〜と思ったのです。
「つらい」と感じる、ずっと手前で
体も、小さなことを「これくらい」とは流しません。
1987年に、アメリカのCryer(クライヤー)先生たちのグループが、こんな実験を報告しています(Schwartz NS, Clutter WE, Shah SD, Cryer PE. The Journal of Clinical Investigation, 1987)。
健康な10人の血糖を、90 mg/dLから40 mg/dLまで、1時間ごとに10ずつ、階段を下りるように下げていく。
そのあいだ、体の中で「燃料を戻そう」とするホルモンが、どの段階で動き出すのかを測ったのです。
結果は、こうでした。
アドレナリン およそ69
グルカゴン およそ68
成長ホルモン およそ66
コルチゾール およそ58
そして、本人が「なんだか具合が悪い」と症状を感じはじめたのは、およそ53。
アドレナリンが動き出してから、本人が気づくまでに、15以上の開きがあるのですね。
論文のタイトルが、そのまま結論になっています。
「血糖を戻す仕組みが動き出す値は、症状が出る値よりも高い」
研究者たちは、この仕組みは下がりすぎた血糖を「直す」ためだけでなく、そもそも下がりすぎないように「防ぐ」ためにも働いている、とまとめています。
つまり、
体は、あなたが「つらい」と気づくずっと手前から、もう動いているのです。
わたしたちが自覚するのは、そのいちばん最後のところ。
おまわりさんが玄関に立ったところで、初めて「何ごと?!」と気づく。
でもその前に、拾う人がいて、届ける人がいて、手紙を書く人がいて、電話を受ける人がいた。
体の中にも、同じように、わたしたちの知らないところで動いている段取りがあるのです。
アドレナリンは、悪者ではない
アドレナリンと聞くと、「ストレスのホルモン」「悪いもの」というイメージを持つ方も多いと思います。
でも、この実験で見えてくるのは、アドレナリンは、燃料が細くなりかけたときに、真っ先に駆けつける係だということです。
心臓の拍動を上げる。
目を覚まさせる。
たくわえてあるものを動かして、なんとか燃料を届けようとする。
どれも、脳を守るための、決まりどおりの働きです。
ただ、その「決まりどおり」を、わたしたちは別の名前で体験しています。
胸がドキドキする。
夜中の3時に、パチッと目が覚める。
手足が冷たい。
ちょっとしたことに、イライラしてしまう….。
体の中では、係の人が持ち場で正しく働いただけ。
でも、受け取る側のわたしたちには、それが「不調」として届く。
見るのは「犯人」ではなく「最初の100円」
「大事」になると、わたしたちは、つい犯人を探してしまいます。
私の性格が弱いから。
もう年だから。
どこか、体が壊れてしまったのかも….。
でも、この1987年の実験を思い出すと、別の見方ができます。
体の中の誰も、悪くないのかもしれない。
みんな、自分の持ち場で、決まりどおりに、正しく動いただけ。
だとしたら、見るべきなのは「誰が悪いか」ではなくて、
最初の100円は、何だったのか。
のほうなのかな〜と思うのです。
お昼を、ちょっと抜いた。
忙しくて、夕方まで何も口にしていなかった。
甘いものを我慢して、ずっと気を張っていた。
体にとっての「100円」は、たいてい、それくらいの小さなことです。
体は「これくらい」と流さない
大人のわたしたちは、つい「これくらい」と流してしまう。
でも体は、あの子どもたちと同じように、小さなことをちゃんと拾って、ちゃんと届けてくれているのですね。
わたしたちは、それを「大事」になってから、ようやく玄関で受け取っているのかもしれません。
あなたが最近、「これくらい」と流している100円は、何ですか?
この記事は、石井恵子のニュースレターでお届けした内容をもとにしています。
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