動けなくなるのは弱さではない。「大丈夫ですか」の一言が脳のエネルギーを節約する——安心感という、目に見えないインフラの話

これは、東京に2泊3日で行っていた時の話です。

その日が、帰る日でした。

滞在していたのは、マンションの一室を借りるタイプの宿です。

その朝、夫が散歩に出かけようとしたときのことでした。

そのマンションのエントランスは、扉が2枚あります。

外から入る扉と、セキュリティを通った先の扉。

その中間のスペースに、25歳くらいの女性がしゃがみ込んで、泣いていたそうです。

まわりには、化粧ポーチの中身が散らばっていました。

化粧道具。お金。そして、携帯電話。

夫は「大丈夫ですか?」と声をかけました。

返ってきたのは「すいません、すいません……」という言葉だけで、彼女は泣き続けていました。

散らばったものをそのままにもしておけず、夫は一箇所に集めるのを手伝ったそうです。

それでも、彼女はしゃがみ込んだまま動きませんでした。

「30分くらいで戻ってきますからね、大丈夫ですか?」

そう声をかけて、夫は散歩に出ました。

ところが、思いのほか散歩が楽しくなってしまって。

戻ったのは、1時間後でした。

彼女は、いませんでした。

そして——集めた化粧道具も、お金も、携帯電話も、すべてそのまま残されていたのです。

「その人は、どの部屋の人ね?」

「ちょっと何が起こったのかよくわからないんだけど……」

部屋に戻ってきた夫の第一声が、これでした。

なぜ、お金も携帯も置いたままいなくなったのか。

今、どうしているのか。

わたしたちには、何ひとつわかりません。

夫は、少し自分を責めていました。

あのとき、それ以上何ができたんだろう、と。

家族での旅行中でしたから、正直、面倒なことに関わりたくない気持ちもあったと思います。

そのまま散歩に行ってしまってよかったのだろうか、と考え込んでいました。

それで、「みんなでもう一度見に行ってみよう」ということになって、家族で1階へ降りたのです。

そこは、何事もなかったかのように片付いていました。

管理人室が開いていて、管理人さんが表玄関を一生懸命に掃いていました。

「ここに、色々散乱していませんでしたか?」と聞いてみました。

「ああ、あんたのやったんね」

「いえ、私のではないんです。さっきここで泣いている人がいて、でもいなくなってしまっていて……」

そう説明すると、管理人さんはこう言いました。

「その人は、どの部屋の人ね?」

わたしたちは、「ちょっとそこまではわからないです」と答えるしかありませんでした。

本当に、それだけの出来事です。

そこには確かに、誰かのドラマがあった

でも、綺麗になった床を見ていたら、複雑な思いが込み上げてきました。

そこには確かに、誰かのドラマがあったのです。

そして今も、どこかで苦しんでいる人がいるかもしれない。

その痕跡すら、跡形もなく拭かれていました。

今日は、この出来事から考えたことを書かせてください。

彼女に何があったのかは、わたしにはわかりません。

ですから、それは書きません。

代わりに、「人が動けなくなるとき、体の中で何が起きているのか」と、

「誰かが声をかけることは、生理学的にどういう意味を持つのか」——

この2つを、代謝の視点から整理してみたいと思います。

脳は「立て直す機能」から先に手放す

まず、動けなくなる側の話からです。

散らばったものを、拾えない。

立ち上がれない。

「大丈夫ですか」と聞かれても、「すいません」しか出てこない。

こういう状態を、わたしたちは「気が動転している」という言葉で片づけます。

でも体の中では、はっきりとした順番で機能が落ちています。

脳は、体重のわずか2%ほどの重さしかありません。

それなのに、安静時のエネルギーの約20%を使います。

そして脳が主な燃料にできるのは、基本的にグルコースだけです。

ここからが大事なところです。

使えるエネルギーが細ったとき、脳はすべての機能を平等に落とすわけではありません。

優先順位をつけて、後回しにできるところから切っていきます。

では、何が「後回しにできる」と判断されるのか。

真っ先に落ちるのは、前頭前野の機能です。

段取りを立てる。

今やるべきことを順番に並べる。

感情の高ぶりにブレーキをかける。

——つまり、「立て直す」ための機能です。

生き延びるという一点だけで見れば、これらは急ぎではありません。

心臓を動かすほうが先です。呼吸を続けるほうが先です。

だから脳は、立て直す機能から先に手放します。

散らかったものを拾い集めるというのは、実は高度な作業です。

何が落ちているかを把握して、順番を決めて、体を動かす。

前頭前野が働いていなければ、これができません。

できないのであって、しないのではないのです。

同じことが、わたしたちにも起きます

ここで、この話を彼女の診断にはしません。

わたしは彼女の事情を何も知りませんし、知らないことを知ったふりで語るのは、いちばんしてはいけないことだと思っています。

でも、これだけは言えます。

同じことが、わたしたちにも起きます。

やらなければいけないことがあるのに、体が動かない。

台所に立てない。

たまった洗濯物を見て、途方に暮れる。

メールの返信が、どうしても打てない。

そういう日を、多くの方が経験されていると思います。

そして、それを自分の性格のせいにしています。

「わたしは怠けている」「意志が弱い」と。

違うのです。

立て直す機能そのものに、燃料が回っていないだけです。

以前『楽しいことも「負荷」です。帰省と旅行で消耗する代謝の話』でお伝えしたことと、

これはまったく同じ構造の話です。

脳が使ったエネルギーに対して、供給が追いついていない。それだけなのです。

声をかけることは、ストレス反応そのものを下げる

次に、声をかける側の話をします。

ここが、今日いちばんお伝えしたいところです。

誰かがそばにいて言葉をかけることは、単なる気休めではありません。

生理的に、ストレス反応そのものを下げます。

これは社会的緩衝(social buffering)と呼ばれていて、

人でも動物でも繰り返し確認されてきた現象です。

同じ強さの脅威にさらされても、信頼できる誰かがそばにいるだけで、

コルチゾールの上がり方が明らかに小さくなります。

なぜでしょうか。

脳にとって最大の仕事は、安全確認だからです。

ここは安全か。危険か。逃げるべきか。

この確認が終わらないかぎり、警戒のシステムは動き続けます。

そして警戒のシステムは、莫大なエネルギーを食います。

「大丈夫ですか?」という一言は、その確認作業を、外から手伝う行為なのです。

誰かが自分に気づいている。

ひとりではない。

このシグナルが入ると、脳は警戒のレベルを一段階下げることができます。

下げられれば、そのぶんのエネルギーが浮きます。

つまり——つながりは、気分の問題ではありません。エネルギーの節約なのです。

この「安全のシグナル」が迷走神経を通って伝わる、という考え方もあります。

(これはポリヴェーガル理論と呼ばれる仮説で、確定した事実というより、有力な説明モデルとして扱うのが正確です)

いずれにしても、人と人が近くにいる状態というのは、

わたしたちが思っているよりずっと、代謝的に「安い」状態なのです。

安全確認が終わらないと、コルチゾールが降りてこない

逆を考えてみます。

安全確認が、いつまでも終わらないとどうなるか。

コルチゾールが、降りてこなくなります。

コルチゾールは緊急時のホルモンとして優秀です。

血糖を作り、体を動かせる状態にしてくれます。

問題は、これが常時オンになったときです。

コルチゾールは、甲状腺ホルモンT4からT3への変換を妨げ、

不活性型のリバースT3を増やす方向に働きます。

T3は、細胞が糖を実際に燃やすために必要なホルモンです。

警戒が続く

→ コルチゾールが降りない

→ 燃やす力が落ちる

→ エネルギーが作れない

→ ますます立て直せない

この輪の中にいる人は、たくさんいらっしゃると思います。

そして、その入り口が「誰にも見つけてもらえない」という状況であることが、意外とあるのです。

Dr. Stephensが提唱するHuman Restoration Science(人体回復科学)では、

不調の出発点を一貫して「脳のエネルギー不足」に置きます。

脳幹と視床下部が省エネモードに入ると、生命維持に直結しない機能から順に切り捨てられていく。

人に助けを求める、という行為も。

実は、切り捨てられる側にあります。

声を出す。事情を説明する。相手の反応を予測する。

助けを求めるというのは、それだけで前頭前野の仕事なのです。

いちばん助けが必要なときに、いちばん助けを求めにくくなる。

体は、そういうふうにできています。

外でもなく、中でもない場所

ここで、あの二重扉の話に戻ります。

扉が2枚あるのは、住んでいる人を守るためです。

これは、正しい設計です。

わたしはそれを責める気持ちにはなれません。

ただ、その仕組みが同時に、ひとつの場所を作りました。

外でもなく、中でもない、中間のスペース。

住民でもなく、通行人でもない場所。

そこにいる人は、誰の管轄でもないのです。

管理人さんの言葉が、それをよく表していました。

「その人は、どの部屋の人ね?」

悪気があって言ったのではないと思います。

その方は、朝早くから玄関を一生懸命に掃いていました。

ただ、都会で人と関わるためには、まず「どこに属しているか」がわからないといけない。

そういう仕組みの中で、みんなが暮らしているのです。

だから床は、拭かれました。

綺麗になりました。

何もなかったことになりました。

人情である以前に、インフラ

わたしたちが普段暮らしているところは、ずいぶん違います。

お隣のおじちゃんが、家を覗き込んで「スイカ食べて」と置いていってくれます。

ツルムラサキを分けてくれます。

道端で誰かが泣いていたら、「どうしたの?」と声をかけるのが当たり前です。

近所の誰がどこに住んでいるか、お互いにわかっています。

以前は、これを「田舎の人情」くらいに思っていました。

でもその日、あの床を見ながら思ったのです。

あれは人情である以前に、インフラなのだと。

スイカを持ってくるおじちゃんは、わたしの安全確認を、外から手伝ってくれています。

「ここにはあなたを気にかけている人がいますよ」というシグナルを、勝手に届けてくれている。

そのぶん、わたしの脳は警戒を一段下げられて、エネルギーを他のことに回せます。

つながりの濃い場所で暮らす人が、なんとなく元気に見えることがありますね。

あれは気のせいではないのだろう、と思います。

安心感が常設されている環境は、代謝的に燃費がいいのです。

逆に言えば——

都会で不調を抱えている方が、自分の努力不足を責める必要は、まったくありません。

環境が持っている緩衝装置の量が、そもそも違うのですから。

つながりが先ではなく、燃料が先

では、どうすればいいのでしょうか。

つながりを作りましょう、という話で終わらせるつもりはありません。

それは、いちばんエネルギーが要ることだからです。

しんどいときに新しい人間関係を作れというのは、酷な話です。

ここで、順番をひっくり返します。

安心感には、外から来るものと、内から作れるものがあります。

外から来るもの——誰かがそばにいてくれること——は、自分ひとりでは決められません。

でも、内側の安心感は、自分で作れます。

糖がしっかり使えている体は、それ自体が「安心状態の代謝」です。

脂肪を一生懸命に燃やさなければならない体は、アドレナリンを使う代謝、つまりストレス系の代謝になります。

同じ人でも、燃料が何かで、体が置かれている状態はまるで違うのです。

ATPが潤沢に作られていて、脳にエネルギーが届いている。

そのとき人は、飢餓感から抜け出します。

金欠のときに安心できる人はいません。

でも、必要なだけ持っているとわかっていれば、人は落ち着いていられます。

体のエネルギーも、まったく同じです。

ですから、順番はこうです。

まず、糖を満たす。

すると、警戒のレベルが下がる。

前頭前野が戻ってくる。

——そこで初めて、人に声をかけたり、助けを求めたりする力が出てきます。

つながりが先ではありません。

燃料が先です。

最後に、夫のこと

最後に、夫のことを書かせてください。

夫は、声をかけました。

散らばったものを集めるのも手伝いました。

戻ってくると言って、実際に戻ってきました。

それでも、「あれでよかったのだろうか」と考え込んでいました。

わたしは、それでよかったと思っています。

全部を解決できる人なんて、いません。

わたしたちにできるのは、たいてい「大丈夫ですか」の一言くらいです。

でもその一言は、少なくともあの数分間、彼女の脳の警戒を一段階下げていたはずなのです。

それは、決して小さいことではありません。

床は拭かれて、何もなかったことになりました。

でも、あったのです。

そして、どこかで誰かが今も、しゃがみ込んでいるかもしれません。

もしあなたが今、立ち上がれない側にいるのなら。

それはあなたの弱さではなく、立ち上がるための燃料が足りていないだけです。

まず、食べてください。

シンプルな糖を、脳に届けてあげてください。

体は、ちゃんと応えてくれます。


この記事は、石井恵子のニュースレターでお届けした内容をもとにしています。
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