古いお家の横に、新しいお家を建てていた時の話です。
その日は「棟上げ」の日でした。
早朝から大工さんたちが集まって、一気に柱を立てていくぞ、という気合いを入れる儀式をして。
そのあとは、ざっと工事に取り掛かって、長い柱はクレーン車で吊り上げて。
ハウスメーカーさんが間に入っているわけではなく、夫が大工さんと直接やりとりしていたので、大工さんとの関わりが、すごく大きかったのです。
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すぐそばで、淡々と働く
本当に、職人さんたちってすごいなと思います。
動きを見ていても、「そんな姿勢で、そんなことできるんですか!?」という作業を、次から次へと。
すごいなぁと思う人たちが、ものすごい勢いで、家を作ってくれている。
その、すぐそばで。
私は、いつもどおりの仕事をしていました。
午前中はカウンセリング。
午後はレクチャー。
その合間に、メールを返して、LINEの返信をして。
そうしたら、なんだか、
「私、これでいいのかしら」
という、罪悪感にも似た思いが沸き起こってきたのです。
そういうものが湧いてくるんだな〜というのが、自分でもすごく興味深くて。
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決めていても、心は落ち着かない
もちろん、私は私がやらないといけないことをやっているわけです。
かといって、柱を立てるのを手伝えるわけもない(笑)
大工さんたちの休憩時間がいつなのかも、分からない。
そこを気にしていたら、自分の仕事が進まなくなってしまうので、もうそこはシャットアウトして、私は私のことにフォーカスしよう、と決めていました。
10時、お昼、3時のお茶出しも、私はしない。
それは夫の管理のこととして、任せよう、と。
でも、そうは言っても….。
すぐ横で、それが繰り広げられているというのは、心が落ち着かないものなのですね。
後ろ髪を引かれている、というか。
今やっていること以外に、脳のリソースが、どこかでずっとそこを気にしている。
だから、いつもより気持ちが疲れる。
以前、『「分からない」という状態が、いちばんエネルギーを使う』という記事を書きました。
休憩はいつなのか。
何か声をかけたほうがいいのか。
分からないことを、分からないまま、頭の片隅で回し続けている。
それだけで、脳は燃料を使っていくのだと思います。
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罪悪感の正体
じゃあ、その罪悪感の正体は何なのか。
よく見てみると、
「お茶も出してくれないんだな、って思われているかもしれない」
「そういうことをしない人なんだ、って評価されるかもしれない」
そこと、結びついているのですね。
もちろん、大工さんたちが実際にそう思っているかなんて、分かるわけもないし、
たぶん、そんなこと何も考えずに、お仕事をされていたと思います。
勝手に、こっちが妄想しているだけ(汗)
そう思われることで、自分の評価が下がる。
価値を認めてもらえない。
わかりやすく、その思考になると言うより、なんかモヤモヤしている感覚を深堀りすると、そんな思いがあることに気が付きます。
ああ、これは、私がこれまでの人生でずっと抱えてきた思考パターンなんだよな〜と、改めて思った出来事でした。
(1日働いてくださった方たちに、何か持たせて帰らなきゃいけなかったんじゃないか、とかも、気になるわけです….)
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「人から評価される」は、それだけで体のストレスになる
ここで、ひとつ研究を紹介させてください。
2004年に、心理学の専門誌(Psychological Bulletin)に、ストレスホルモンのコルチゾールについてのメタ分析が出ています。
人に心理的なストレスをかけて、コルチゾールがどう動くかを調べた実験室の研究、208本を集めて見直したものです。
そこで分かったのは、ただ難しい課題をやらせるだけでは、コルチゾールの上がり方はまちまちだった、ということ。
大きく上がったのは、「自分ではどうにもできない」状況か、「人から評価される」状況のときでした。
それどういうことかというと、
体にとっては、「人にどう見られるか」は、気持ちの問題で終わらない、ということなのですね。
実際に誰かが評価していなくても、
「どう思われているだろう」と頭の中で想像しているだけで、体は、評価の場に立たされているのと同じような構えをとりうる。
しかも、休憩時間も分からない、お茶出しのタイミングも分からない。自分ではどうにもならないことばかり。
あの日の私は、この2つの条件を、自分で重ねていたのだと思います。
ストレスホルモンは、体が「非常時」に燃料をかき集めるときのホルモンです。
かき集めて、使う。
その分、本当に使いたかったこと——目の前のクライアントさん、レクチャー、返信——に回せる余力は、減っていく。
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「人がどう思うか」と「自分の価値」を分ける
問題は、
「人がどう思うか」と「自分の価値」が、くっついてしまっていること。
誰がどう思っても、自分の価値というものは、1ミリも増えないし、1ミリも減らない。
だって、そうですよね。
そこは、まったく関係のない話なのですから。
そこを分けて考えられないと、ずっと、あれこれ気になり続ける。
任せると決めたのだから、ただ、そうすればいいだけなのですね。
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脳機能回復は、「何に燃料を取られているか」が見えてくること
以前の私だったら、こういうとき、感情や思考にどっぷりはまって、
何がそうさせているのか区別もつかないまま、ただ不機嫌になっていたと思うのです。
今は、脳機能回復に取り組んでいるので、
「あ、今、こういう思考になっているな」
「これは、あのパターンだな」
と、自分の中で起きていることを、少し離れたところから見ていられる。
脳機能回復って、別にメンタルセッションではないのだけれど、
自分の、何の状況が、どう自分のエネルギーを奪っていっているのか。
それが見えてくる、ということでもあるのですね。
燃料が足りない脳は、労力のかかることから後回しにします。
そして燃料は、足りないこともあるし、
どこかに漏れていることもある。
漏れている場所が見えたら、
自分にはまだ「ずれ」があるんだな、と気づくことも大事だし、
「誰がどう思っても、私の価値は変わらない」ということを、
もう一回、自分に植え込んでおくことも、大事だな〜と思っています。
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あなたにも、
してあげられていないこと、手伝えていないことに、なんとなく後ろめたさを感じて、疲れてしまうこと、ありませんか?
その後ろめたさは、「誰かにどう思われるか」と、くっついていないでしょうか。
参考文献
Dickerson SS, Kemeny ME. Acute stressors and cortisol responses: a theoretical integration and synthesis of laboratory research. Psychological Bulletin. 2004;130(3):355-391.
この記事は、石井恵子のニュースレターでお届けした内容をもとにしています。
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